西へ・・・〜崩れの美学〜
キレイすぎる女性が苦手です。
キレイすぎる女性は目の保養になっても自ら進んでお近づきになろうとは思いません。
もちろん、ふとした拍子にお近づきになれればそれはそれでうれしいのがオトコのサガですが、目の保養も3日も過ぎればただの人です。
別にあんたなんかこっちの方から願い下げよ、というのならそれはそれで構いません。
自分も下世話な興味以外ありませんから「気が合いますね」、で終わります。
「願い下げよ」だなんて言葉を使う女性もいまどきいないでしょうが。
あらあら、だいぶ痛いアレゲな人がいますねー、あなたカガミって覗いて見た事ある?
といたくご立腹の方もいらっしゃるかもしれませんが、そのへんはわきまえた上であえて護送船団棚上げ方式でいくのでまぁ聞いてください。
人間、多少崩れた顔の方が愛着が湧くものです。
非の打ち所のない完成された造詣は人に息をつかせるしまを与えません。かえってきゅうくつなのです。
そこに一点でも崩れがあるとき、事情は一変します。
「どうして?どうしてそこでそうなるんだ!?」
気にしまいと努めてもどうしても気になってしまう、むけそうでむけないささくれのようなその一点の崩れに人は注意を引かれ、注意は興味となり、興味は愛着へと形を変え、そしていつしか魅惑へと変貌を遂げます。
そのうちにあなたは崩れの中に真の美貌やかわいらしさを見出し、その魅力に心の全てをほだされていることでしょう。
そう、真の美とは崩れにの中にありと見たり!なのです。
ピカソとおんなじです。崩した方が芸術性が高いのです。キュービズムです。
反面、世の女性は極力完璧に近づこうと顔面にメイクを施したりしてがんばっていますが、あんまりそんな必要はないと思うのです。ちょっとぐらいの崩れがあってもよいのだと思います。
だから私は化粧を塗りたくり、崩れを隠し、くっきり形を作ろうとする女性をあまり好きになれません。
なんか「あがき」が垣間見えてかえって醜さというか見苦しさを感じます。
内心、「ウソツキ!」と緒川たまきばりに吐き捨ててやりたい衝動にかられます。
それよりも化粧なんかほどほどにして、自信に溢れ堂々としている人の方が潔くて好感が持てたりするものです。
単に化粧に興味のない人は除きますが。
ということで、もしあたなに”崩れ”があると感じているのなら、その崩れを大切にしてください。誰かがあなたに愛着と魅力を感じています。
しかしながら、崩れも4点も5点も組み合わさるとそれは単なる「ブサイク」といいます。
そういう人はどうぞがんばってください。
そんなの単に人の好みの問題じゃん、
って、そーです、だからこそがんばるにしても過剰にはがんばる必要はないのです。
あなたは別に芸能人でもアイドルでもモデルでもないのです。
あんまり不必要にがんばらなくてもあなたのことを見ている人は見ています。
日本のどこかにあなたを待ってる人がいるのです。
とりあえず西にでも向かってみてください。
そんな偉そうなことをのたまう自分ですが、私も崩れているので誰かが愛着を感じてくれているだろうだなんて思っていたら、誰も愛着を感じてくれていません。
崩れが4点も5点も組み合わさっているからでしょう。
がんばりますorz