「自動販売機」はどこまで「自動」か
過去に某所で書いたネタをUPしてみる―その1。
戯れに書いたネタなので自動販売機に対する主義・主張は特にありません。
続きからどじょ。
今や日常の生活に欠かせなくなった「自動販売機」。
やつらの存在はコンビニエンスストア同様、かなりコンビニエントである。
コンビニエントであるがゆえに街中に点在するやつら。
都心部では徒歩3分以内の間隔で何台ものやつらに出会うことができる。
っていうか、ありすぎ。
恐らく、事情をあまりよく知らずに日本に来たガイコクジンに「ニホンジンハソンナニノドガカワイテルンデスカ?」とでも疑問に思われている度大。
そしてもれなく彼らは「ジャポネはサースティ」と勘違いして帰国するに違いない。
「町の景観を汚している」と社会問題にもなっているようだが、今回わたしが言いたいことはそんな高尚な社会問題についてではない。そんなの筑紫さんにでも多事争論してもらえばよい。
わたしが言いたいのは「自動販売機はどれだけ自動なのか?」ってことよ。
そこで、「自動販売機で自動販売される物品を購入する場合における一連のプロセス」を科学的に(?)検証してみる。
手でお金を入れる→手でボタンを押す→出て来た物品を取り出し口から手で取り出す→お釣りがあれば釣り銭口からお釣りを手で取り出す
結構手動だね。
しかも、やつらもれなく貨幣の認識率が驚くほど甘い。甘いっていうか低い。
コインを入れた途端釣り銭口に吐き出しやがる。それが紙幣だった時のやるせなさは硬貨の数倍にも達する。入れづらいから。
べろーんと紙幣を吐き出すやつらのその態度は「残念でした、あっかんべー」とでも言わんばかり。
一度ですんなり認識してくれることはまずない。
むしろ、一度でうまく認識されようものなら、初詣のおみくじで大吉でも引いてしまったかのような歓喜。
ここまで来ると自販機の有する機能の一部なのかもしれん。
「世界初!朝一発目でこの幸運に出くわすと今日はいいことありそうな気分にしてくれる機能搭載!」みたいな。
あんまり吐き出されると、日本銀行の発行した正規の貨幣を使っているにもかかわらず偽金を使っているとなんかサスペクトされてる気になる。
「”刑事さん、まさかわたしを疑っているんですか?”的な非常にサスペンスな気分にさせてくれる機能」
も搭載しているのかもしれない。もちろん世界初。
「すいませんねぇ、われわれ疑うのも仕事なもんで」という返事が自販機から返って来ないのが非常に残念でならない。
そして、もれなく釣り銭口や取り出し口が機体の中腹から下部の方に配置されているというかなり人間工学に基づかないアンユニバーサルなデザインもいただけない。
おかげでいちいち腰をかがめるという運動を強いられる結果となる。
っていうことであれば、自販機で物品を購入する一連のプロセスはこうなるか。
手でお金を入れる→お金が釣り銭口に吐き出されお金を手で取り出す(自販機のデザインによりこのときちょっと腰をかがめる)→お金を手で入れ直す→また吐き出され、再度お金を手で取り出す(このときちょっと腰をかがめる)→再三お金を手で入れ直す→やっとお金が認識され手でボタンを押す→出て来た物品を取り出し口から手で取り出す(たいていの自販機ではこのときだいぶ腰をかがめる)→お釣りがあったら釣り銭を釣り銭口から手で取り出す(ちょっと腰をかがめる)
だいぶ手動じゃん!しかも腰の上下運動込み。
いやいや、「自動販売機」という言葉にだまされてはいけないのだ。この言葉、よく吟味してみよう。
「自動」で「販売」する「機」械、
そう、このマシーンが言うところの「自動」は「販売者側」にとっての「自動」であって、「購入者側」にとっての「自動」では決してないのだ!
なんてプロダクトアウトなマシーン、そして言葉!「売り手の理論」満載。 「お客様視点」皆無。拙者、なんだかむしょうに悔しくなってきた次第。
名称を「自動販売機」ではなく「手動購入機」にでもしてやりたいくらいだ。
まぁ「昼夜問わず、雨の日も風の日も野外において自動で販売してくれるマシーン」と前向きに読み替えれば、買い手にもその「自動」の恩恵が享受されるとむりやり解釈できなくもないわけで、なんだかんだで今日も自販機を利用する自分なのでした。
次回は「自動改札機」がどれだけ自動かを検証します。(ウソ)