著作権の夜明け? −プラーゲ旋風 著作権の黒船
(著作者の権利)
第十七条 著作者は、次条第一項、第十九条第一項及び第二十条第一項に規定する権利(以下「著作者人格権」という。)並びに第二十一条から第二十八条までに規定する権利(以下「著作権」という。)を享有する。
(上演権及び演奏権)
第二十二条 著作者は、その著作物を、公衆に直接見せ又は聞かせることを目的として上演し、又は演奏する権利を専有する。
(定義)
第二条 この法律において、次の各号に掲げる用語の意義は、当該各号に定めるところによる。
十六 上演
演奏(歌唱を含む)以外の方法により著作物を演ずることをいう。
7 この法律において、「上演」、「演奏」又は「口述」には、著作物の上演、演奏又は口述で録音され、又は録画されたものを再生すること(公衆送信又は上映に該当するものを除く。)及び著作物の上演、演奏又は口述を電気通信設備を用いて伝達すること(公衆送信に該当するものを除く。)を含むものとする。
1853年 黒船来航。
いやでござるよ、ペリーさん。
この年、日本が世界に向けて開かれた。
開かれたっていうか、無理やりこじ開けられた。
まだまだクルマもデンワもないけれど、ガイジンさんたちがたくさん日本にやって来た。
ガイジンさんたちは日本にスシを食いに来たわけでもなければ、フジヤマを見に来たわけでもなく、ゲイシャと遊びに来たわけでもなかった。
むしろ、フジヤマ眺めながらスシでも食ってゲイシャと遊んで「イチロー!」とでもバカ騒ぎして帰ってくれたのであれば、当時の日本にとってはずっとありがたかったかもしれない。
しかし、ガイジンさん達はそんなピースフルな人達ではなかった。
ガイジンさん達はとても理不尽な人達だったのだった。
ガイジンさん達は日本と和親条約を結んで行った。
メリケンが条約を結ぶと、エゲレスもおフランスもおろしやも蘭国も日本と和親条約を結んだ。
ガイジンさんたちの狙いは、この和親条約でニホンジンと和んで親しもうということではさらさらなかった。
和親条約後の通商条約により、日本は国内でガイジンさんを裁けなくなり、さらに関税を自分で決めることもできなくなった。
―安政の五カ国条約。
この不平等条約に日本は長い時代苦しめられることになるのであった。
あるいは、ニホンジンがあまりに無知過ぎたのかもしれない。
何百年もの間世界から引きこもり、向こうからやってきても無ニ念に打ち払うという、今の日本では到底考えられない強硬な態度で国際社会との交わりを頑なに拒んでいたくらいだから、国際社会のトリーティーだのコンベンションだのアグリメントだののいろはなんかわかろうはずもなかったのかもしれない。
何はともあれ、日本は欧米列強の言うがままなすがままにされてしまった。
ここから日本の、列強をはねつけ国際舞台に踊りださんとする大維新が始まるのだった。
時は明治、そして昭和にかけての激動の時代、黒船来航から開国した日本が欧米に追いつけ追い越せのとてつもないスピードで近代化を遂げた歴史の裏で、またもう一つの”黒船来航”の歴史があった。
日本は神田に突如として現れたる「噂の黒船さん」……、
その名もプラーゲ・ウィルヘルム。
プラーゲ・ウィルヘルム、何する者ぞ!?
その?に続く